京都商法 「かんにん」 と 「堪忍」 の商哲学
町家が象徴するように、間口は狭く奥行きが深い京都商法が見直されています。モノの量より質をこそ重んじる物づくりの伝統や身の丈サイズの商いで、過不足なく時代を潜り抜け、勝たないまでも負けることのないビジネス。
そんな京都商法こそ、低成長時代のいま、見習うべきとの気運が高まっていると言うのです。では、その京都商法とは? そして京都の商人魂とは?古い時代の逸話も参考にしながら、京都商法について考えます。
京都の四条寺町東、祇園祭の御旅所の西に 「冠者殿」(かんじゃでん) というお社があります。このあたりは京都の繁華街ですから、誰もが一度や二度は前を通ったことのある神社ですが、あまり目立たないお社です。ここに、 「誓文払」(せいもんばらい) と呼ばれる、日本版逆さエイプリルフールといった伝承があります。
その昔、十月二十日に商人や遊女たちはこぞって 「冠者殿」 に参詣し 「誓文返し」 をしたのだとか。 「誓文返し」とは、この一年間、客に嘘をついて暴利を貪ったり客の心をかどわかしたりした罪を払い、神の罰を免除してもらえるよう、誓文を書いてお祈りするという信仰。大阪や福岡などの商業都市でも見られる習慣で、江戸時代の井原西鶴も 『好色二代男』 にその様子を紹介しています。さらにおもしろいのはこの日、あいにくお参りに行けない人のために、わずかな駄賃で身代わりを引き受けてくれる 「すたすた坊主」 なる者もいたというのです。頭には縄の鉢巻き、腰には注縄を巻いていたという 「すたすた坊主」 は、すでに江戸時代になくなっていたそうですが、代理人を頼んででも罰は逃れたいというちゃっかりした京童(きょうわらべ)の本音が見えるようなユーモラスな風習です。
そして、商人たちは、この誓文の日を挟んで売り出しの市を立てました。売り出しの目的は、日頃の駆け引きで客に多少なりとも嘘をついて利益をあげた罪滅ぼしというコンセプトで、棚卸し一掃セールのようなものだったらしく、三日とか五日と期間を決めて開催されたと言い、
”誓文でさしづめいらぬものも買ひ„
などという川柳もうまれるほどの賑わいを見せたといいます。これが現在の恒例バーゲンセールにつながっているわけです。二十日はちょうど、近くの恵比須神社の 「二十日ゑびす」 でもありますから、誓文払いのあと、こっちへも足を延ばすのが定番コース。恵比須神社は商売繁盛の神さまですから誓文払いで罪償いをしたその足で商売繁盛もちゃんとお願いしておく、この抜け目のなさは紛れもなく京都人気質。この町では 「じょさいないお人」 と呼ばれ、ときに軽蔑を含み、あるときは愛嬌のある人といったニュアンスが入り交じり、さまざまに使い分けられます。
ちなみに、この冠者殿の祭神は 「土佐坊昌俊」 ではないかと伝えられています。土佐坊とは、源義経追討に立ち上がったものの義経に捕えられ、その時嘘をついて追討使でないと言ったために神罰を受けて命を落としたという武将。こんな大嘘つきを祭神にして、「神さん、ワシはまだ、あんたよりはマシや。儲けさしてはもろうてますけど、お客さんの命までは狙うてはおりまへん。どうぞ、かんにんしとぉくれやす」と神に懺悔して、その代わりに破格のバーゲンセール 「誓文払」 を開催して罪を償ったというわけです。
かつて、京都の商家では必ずといってもいいほど 「堪忍」 の扁額を店の間などに掲げていました。「堪忍」は 「堪忍袋の緒が切れた」 と使うように、我慢や辛抱のこと。その辛抱を 「成らぬ堪忍、なすが堪忍」 と言いながら自らの主張を曲げてでも人や社会とのバランスを重視したのが石田梅巖。仏教や神学、儒教などをミックスして石門心学という実践哲学を唱え、暮らしは質素、倹約、堪忍。商いは売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」を力説して、客と社会に喜びや豊かさを返すことこそ、商いの社会的責任だと主張したため、京都の商人はこれを大事な商哲学としてきた歴史があります。これは「誓文払」の流行よりあとで町衆に浸透したもの。心学の影響を受けた京の商人は、商いにおける礼節をなにより重んじました。ですから商人にとって最も重要なものはカネより信用。信用こそが「持続する商売」のキーワードとなったのです。
いま、京都には百年以上の老舗が一千軒以上あると言われています。ダイナミックな消費を前提とした大企業は育ちにくい土地柄ですが、技や知恵や美的センスを駆使した質の高いモノやコトを少しだけ生産・提供するにはもってこいの町。
「京もの」や「京の老舗」のブランド性に学ぶ時代だと、有名なマーケッターが声高に叫ぶのを見て、「いまごろ、何言うたはりますのや」と言わんばかりの京都の商人はたくさんいらっしゃいます。
参考文献:京のわる口、ほめころし 石橋郁子著