おもてなし
「おもてなし」という言葉をよく目にしますが、本来は表に出さない心遣いだと思います。奥ゆかしく慮る(おもんばかる)ことをわざわざ声高に言わねばならないのは、世の中がせちがらくなった証でしょうか。
私は先代からの、「縁の下の力持ちであれ」という教えを守ってきました。お茶屋の女将とは、舞妓さん、芸妓さんとお客様の間を取り持つ裏方的な存在で、陰で心を尽くすのが役割です。お客様の希望をかなえられるように、さりげなく気を配ります。
TPOを気にしない現代
「一見(いちげん)さんお断り」というのも、ただ知らない人を断っているのではありません。お客様のことをよく知って、心地よい時間を過ごしていただくため。お客様も、遊びに来て芸舞妓さんの芸を見ることで、その上達をささえてくださっているのです。舞妓さんは厳しい稽古を積み、芸を見ていただいて磨きをかけ、日本文化を継承しています。お客様は祇園町と芸の支援者でもあり、まちぐるみで一朝一夕ではない信頼関係を築いているのです。
現代はTPOをあまり気にしなくなりましたが、その場にふさわしいありようを見直さねばならないと思います。どんな場においても迎える側が気を配り、訪れる人もそれに応えてふるまう、思いやりのキャッチボールで、快いシーンを一緒につくり上げていくのが、お付き合いの基本ではないでしょうか。
花街にはしきたりがあり、それが堅苦しいと取られがちですが、実はとても合理的にできています。決まった日に行事があり、四季折々に部屋の室礼や装いがかわるのです。「八朔(はっさく)」にはごあいさつに回り、「事始め」から暮れにかけての準備を始めます。決まっていれば時期で頭を悩ませることはないし、作法も分かっているのでうろたえません。部屋にも季節らしい掛け軸や花を飾り、舞妓さんは月ごとの簪(かんざし)を飾ります。そういったことを面倒と考えず、決まりごとを楽しむと思えば暮らしやすくなるでしょう。
花街の行事はまちの慣わし
近年は、真夏にブーツを履くなど季節感の無い装いを目にしますが、見るからに暑苦しいし、本人もさぞ暑いでしょう。おしゃれは自由に楽しめばいいものでしょうが、同じ楽しむなら季節感を味わう方がいいのになとおもいます。
ところで、祇園町にはたくさんのカメラマンが訪れます。写真は良い趣味ですし、カメラ人口が増えるのはいいことです。けれども我れ先にと人を押しのけて撮影をしたり、舞妓さんを止めてポーズを取らせるのは困ります。店先に陣取れば、出入りの邪魔になることもあるでしょう。
特別な日には、いつもに増して大勢の人がシャッターチャンスをうかがいますけれど、花街の行事はイベントではありません。大事にしているまちの慣わしであり、お師匠さん方やお茶屋さんへ礼を尽くす神聖な伝統ですから、お世話になっている方々のもとへ向かっている心境をお察しいただいて、良識ある行動を取っていただきたいものです。
これらも相手の立場を思いやる心があり、TPOを気遣う神経があれば、円滑にいくことではないでしょうか。日本人の美徳である奥ゆかしさ、いろんな人やものに生かされているという感謝の気持ちを忘れず、おごりなく暮らしたいものです。
京都新聞 「日本人の忘れもの」
一力亭 女将 杉浦京子さん の言葉