道の人、 非家の人
『道の人』 とは専門家(プロフェッショナル)、『非家の人』 とは素人(アマチュア)である。
プロとアマの違いについて、兼好さんは言う。
どんな道のプロでも、たとえその技が不器用であっても、器用なアマチュアとくらべると、
必ずプロが勝つ。それはなぜか。プロは決して油断をせず、いつもこまかく注意をはらい、
いい加減なことをしないから。アマは、プロのような責任がなく自由なぶん、気を抜いて、
自分の好き勝手におこなう。その違いが勝負をきめるのだ・・・・・と。
よろずの道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)
の人にならぶ時、必ずまさる事は、たゆみなく慎みて軽々しくせぬと、ひとへに自由なる
との、等からぬなり。・・・・・・・・・・・・・・・・・「徒然草・第百八十七段」
‘たゆみなく慎みて軽々しくせぬ’ プロは、自分自身に非常にきびしい。もうこれでいい、
と安易に自分を許さない。いつも自分に不満である。一生、自分を律しているのがプロ。
‘ひとえに自由なる’ アマは、上手になると、天狗になって気をゆるめる。ギリギリまで
自分を追いつめたりしない。差はここで生まれるのだ。
最近、拝読いたしました 清川 妙さんの 『兼好さんの遺言』 の一節です。
「遺言」とは遺書の言葉ではなく、兼好法師がその著書『徒然草』の中で、私たちに教えて
くれた、数々の言葉を清川さんが分かりやすい現代語に解釈されたものです。
私もこの一節をを肝に銘じ仕事に「直往邁進」と日々心がけています。
兼好法師が庵を構えた「双ヶ丘」も自宅から歩いて10分くらいのところにございます。
間接的ではありますが、不思議なご縁があるもんやなあと勝手に思っています。
『朝顔』